大学生の日常をちょっとした漫画にしつつ、ちょいちょい大事なことを伝えられればと思います。ちなみに漫画はコミPo!で作成しました。
【4コマ漫画】我ながら努力した
4コマ漫画のポイントは2つあります。
1つめは、本人なりには努力したが、方向性が間違っていたという話。しかも、間違っていることに自分なりに気づいているにも関わらず、その間違った努力をやめられなくて、結局、時間と労力を無駄にしてしまったわけです。
もう1つは、情報は新しくなければ意味がないということです。情報が古いことに気づかないで、その情報を鵜呑みにすると、自分自身が間違って物事を認識してしまうだけでなく、その間違った認識を他者に広めてしまうこともあります。情報の鮮度は重要です。
それぞれの内容を個別にみていきましょう。
努力の方向性を間違うことは、本当に努力していたと言えるのか
努力の方向性を間違うと時間と労力を無駄にしてしまいますよね。よくあるのが勉強方法。時間や労力をかけた割には、まったく成績が伸びない。点数に直結するような勉強をしていなければ、どんなに頑張っても成果は出ません。
では、間違った方向で努力してしまった場合、その努力は完全に無駄なのでしょうか。
完全に無駄とまでは言わないかもしれませんが、その努力によって失った時間と労力を考えると、明らかにデメリットが大きいです。
本人としては、一生懸命頑張ったつもりだろうけど、残念ながら「もっと他にできることがあったよね」と考えざるを得ません。だからこそ、誰かのアドバイスを受けたり、冷静になって自分の行動を見直したりしながら、正しく努力することが大切です。
さて、私自身は学生さんが本当に努力したことについては、できるだけ認めたいと考える派ではあります。しかし、間違った方向に力を注いでしまっている場合に、それが本当に努力と言えるのだろうかと疑問に思うことがあります。
先ほどと同じように、勉強方法を例にとってみましょう。効率の悪い勉強方法に時間と労力を割いてしまう人がいます。この場合、「正しい勉強方法を知らない人」と解釈されることが多いのではないでしょうか。
しかし、効率の悪い勉強をしている人みんなが、単に正しい勉強方法を知らなかったとは限りません。実際には、やり方が悪いとわかっていながら、あるいはそのように周囲からアドバイスを受けていながら、なかなか正しい勉強方法に切り替えられない人も多いのではないかと思います。
習慣づいた行動を切り替えるためには、自分自身の間違った行動を見つめ直し、勇気を持って正しい方向に切り替える必要があります。それをできる人が本当に努力をしている人と言えるのではないかと思います。
間違った方向に力を注いでいることに気づいていながら、そのやり方を続けてしまう人の場合、自分自身が慣れ親しんだ楽なやり方を継続しているに過ぎず、けっして努力しているとは言い難いです。
状況に合わせて、自分自身を見つめ直し、柔軟に行動を切り替えられる人こそ、本当の意味で努力している人、頑張っている人なのだと考えます。
情報の鮮度に気をつけること
情報には鮮度があります。歴史関係の研究などの例外はありますが、多く場合、古い論文・書籍・記事はあまり役に立ちません。それらの情報が何年に出てきたものかを常に確認するクセをつけておくことは大切です。
仮に取り扱った論文・書籍・記事の情報が5年も10年も古いものであった場合、示されている法制度やデータ自体も古い可能性があります。その状態で卒論などを作成しようものなら、卒論の根幹にかかわる部分で失敗する可能性もあります。情報の鮮度については常に確認しておきましょう。
では、調べた論文・書籍・記事などについて、発行年を1つ1つチェックする必要があるでしょうか。発行年自体はわかりやすい位置に示されているので、出てきた情報1つ1つについてチェックすることも可能ではありますが、Googleなどの検索サイトでは、検索ツールというものがあります。それによって、最初から2015年以降を検索するなどすれば古い情報をある程度除外することができます。
私は普段の検索ではGoogleを使いますし、論文検索ではGoogle Scholarを使います。上述したように、情報が出てきた年を指定して検索することもよくやりますが、キーワードの組み合わせや除外キーワードなど便利な検索方法(検索オプションといいます)を使って検索をかけます。普通に検索するよりもピンポイントの情報を得ることができます。
もう1点、「いつの情報かを明確にすることの重要性」について気をつけなければならないことがあります。出来事が起きた年を曖昧にするあるいは故意に誤認させるような記事も存在しており、その情報を鵜呑みにすると、大きな誤解を生む可能性があります。例をあげましょう。
- 1990年代に施設Aで虐待が頻繁に行われていたことが明らかになった
- それ以降、施設Aでは問題の再発防止に努め、職員への徹底指導と外部からのチェックを積極的に行い、施設内での虐待の問題はみられなくなった。
というのが本来起こったものだとします。これをみれば、虐待に対して対策がとれて、現在はうまくいっているという事になります。
ところが、上記の「1990年代の施設Aでの虐待」という内容を、どこかの誰かが2020年ぐらいにブログ記事などで取り上げたうえに「1990年」という言葉を削ってしまうことで、「施設Aでは2020年現在でも虐待が行われている」「再発防止のための対策の効果がない」などの誤解を生んだりします。
自分自身で情報を出す場合にも、情報源を辿る場合にも、それがいつの情報なのか、いつの出来事なのかを明確にしておくことは大切です。